グルガオンの現状:地元住民と移住者の文明衝突

今年の年明け未明、インドのトップニュースの一つとなったのがグルガオンの中心街、MGロードのショッピングモールの外で発生した集団レイプ事件です。都会の真ん中で起こったこの事件は、ショックを与えました。なぜ、このような事件が発生したか…グルガオンの現状をお伝えします。

---------------------------------
新聞名: Hindustan Times
日付: 2012年1月8日
ページ: P13
記事名: Living on The Edge
記者名: Deevakar Anand

10年前、グルガオンと言えば夢の町でした。デリー郊外の南部に位置する、このハリヤナ州の新興都市には、当時米国の経済雑誌 Fortune 500 に記載された企業の 300 はこのグルガオンに拠点を置きました。まだ発展したての当時のグルガオンは、村と高層ビルが両立し、道路では水牛とメルセデスベンツが走っていました。経済成長と共にデリーの物価が上がり、このグルガオンに未来を託し、移住する人々も増えました。

ところが現在は、地元の人々と新しく住み始めた住民の間で、文明的な衝突と社会的なトラブルが起こっています。

元々保守的な人々が暮らすグルガオンは、15年前までは埃っぽい村の集落に過ぎませんでした。ところが、急激な発展により、高層ビルが立ち並ぶ町となり、近代文明の波に飲まれました。バーが並び、肌を露出した女性が多く見かける様になりました。ITの中心地となり、数々の技術者が集まっていますが、地元の人々は新しい文化に馴染む事が難しくなっています。

土曜日の夜、グルガオンに住む地元住民、バルラムが、IT企業で働く若者が集まるパブ、モジョーに入ろうとした所、入口でガードに引き止められました。ここの経営者、シンにによると、

「このディスコには、適格な人しか入れません。なぜなら、一部の人が踊っている女性を見て見下したりする事を防ぐためです。」

同じグルガオンの地元住民で裕福のダルメンドラは、この様なパブは元々グルガオン住民の土地であり、同じ金額を払うのに自分達が入れないのはおかしいと言います。2011年8月には、グルガオンで有名なサハラモールも、9人の村の若者がディスコに入るのを拒否され、村人による閉鎖事件も起こっています。

1995年からグルガオンに住む、メディア関係の女性取締役であるアイーシャ(38歳)は、このグルガオンが小さな村から世界的な都市に発展するのを目の当たりにしましたが、同時に女性に対して住みにくい場所になったといいます。土地の売買で裕福になった地主達は、新しい文化人と一緒の層に入りたいのだが、同時にお酒を飲み踊る女性を見ると興奮すると言います。

ネルー大学、社会学の教授であるアーナンド・クマールは、この文化的な衝突の理由の一つがお金ですべてを買えるという価値観だと言います。

「グルガオンは間違った共存の仕方をしている。もし(グルガオンのように)都会と地方の人間が共存する場合、社会教育施設を通して礼儀を教えないと、衝突が起きる」とクマールは助言します。

グルガオンの地元住民で自治体の女性職員であるスニタ(38歳)は、このような村人と新しい住民との衝突の仲裁人として役割を果たしました。彼女も、地元住民によるお酒や踊る女性に対しての偏見は喜ばしくないと言います。また、そのような女性達にも、控えめな行動を取って欲しいと共に、危ないバーや酒場には近づかないで欲しいと言います。

このグルガオンの問題は、土地で一儲けした地元住民が輸入車や高級な生活に費やす一方、彼らの子供達には教育はほとんど投資されていない様です。そのため、社会的な溝は縮みにくいでしょう。

また、ハリヤナ州政府も州財政の47%はグルガオンから得ているのにも関わらず、地元に人々に歓迎されるのは5%にも過ぎません。

土地の売買で設けた不動産会社も、地元住民に新しい仕事や教育も歓迎されていなく、もっと地元住民の育成に取り掛かって欲しいと、グルガオンに住むシン大佐は言います。

この様な環境になってしまった理由の一つが地元の政府だ言う人もいます。地元大学の社会学教授をしている女性のレヌ(51歳)は、女性に対して犯罪しやすいイメージを変えない警察に原因があると言います。

例えば、同じハリヤナ州でも州都のチャンディガルは、グルガオンの様に新興都市と発展したのにも関わらず、教育水準は高く社会も安定しています。

2001年の時点で57万人弱だったグルガオンの人口は2011年では3倍近い151万人弱となっています。

元々、グルガオンの発展は計画的なものではありませんでした。90年代初頭、インドが経済を自由化してからデリー首都圏は都市計画を実行し、当時はウッタル・プラディッシュ州のファリダバードという、デリーから南に位置する工業都市を発展する予定でした。

しかし、ファリダバードでの労働者によるデモや政治的腐敗により、当時貧しい村々の集まりに過ぎなかったグルガオンに住居や企業を移転し、発展させたと言われています。

約10年間の間、外から来た若い技術者と地元農家の間では共存しあってきましたが、これからはすべての住民の希望を答えられるようにならなければいけません。

---------------------------------

筆者もグルガオンにはよく仕事関係で訪れる事がありますが、格差の違いにはすごく驚かされます。巨大なビル群が並び、東京やシンガポールとあまり変わらない景観でありながらも、裏路地はとても田舎的な雰囲気があり、経済発展に取り残されたと思われる人々が高層アパートやビルの間で暮らしています。

デリーではスラム地域はありながらも、生活観が感じられるのですが、ここグルガオンの場合は同じ低所得層の人々が暮らす場所は取り残された感が大きく、まさに、インドの現代を象徴しているようです。

さすがに、この違いでは衝突が起きるのも無理もないと感じてしまいます。ある程度このような人たちも恩恵を受けない限りは、このような状態が続くでしょう。また、もし近代文明の一員となりたい場合には、女性の価値観も含め馴染める様に努力する必要があります。

今グルガオンで一番必要としているのは教育だと痛感します。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。